勇気を出して、僕のことを少しだけ書きます。
サブスタックを始めて、1ヶ月が経ちました。
ここまで僕は、自分のことをあまり主題にしないようにしてきました。
理由はシンプルで、見てくれた人に有益な情報やノウハウを届けることに集中したかったからです。
でも自分のことって、ちゃんと言葉にしないと見ている人には伝わらない。
当たり前なんですけど、改めてそう感じました。
だから今日は、勇気を出して自分のことを書きます。
実際の僕は、ダサくて、何度も諦めかけて、何度もどん底まで落ちて、そのたびに泥臭く這い上がってきた人間です。
そのあたりを、隠さずに書いてみます。
▼ 何者でもなかった子供時代
小学校の中学年くらいまで、僕は本当に何者でもない子供でした。
空手もスイミングもやっていましたが、実力は並。
何かで1位を取った記憶がありません。
これといった強みもない、ただの普通の子でした。
▼ 好きな子に追いつくために、その日のうちに陸上部員になる
小学5年生のとき、転入してきた女の子に一目惚れしました。ちゃんと人を好きになったのは、たぶんこれが初めてです。
ある日、運動会の予行演習で「学年で一番足が速い4人」がお手本として50メートルを走る時間がありました。
その4人の中に、僕が一目惚れした子が立っていたんです。
「え、足速いんかーい!」と思いました。
当時の僕は足の速さも平均くらい。
つまり彼女のほうが速い。
「これはまずい」と思った僕は、仲の良い友達が陸上部にいたので声をかけて、その日の放課後にはもう入部していました。
そこから走り続けたらメキメキ速くなって、最終的には学年のリレー選手(補欠)まで行きました。
学年で5番目に速い男です。
陸上で基礎体力がついたおかげか、空手のほうも伸びて大会で優勝したり、県大会で上位に入って、全国大会に出場する権利を得たりもしました。(なんかそこで満足しちゃって出場は辞退しました)
正直に白状すると、この初恋には長〜い後日談があります。
中学で偶然の再会があって、実はお互い好きだったことが発覚して……とかいう話なんですが、書き出すと一気にキモい記事になるので、ここは割愛します笑
ひとつだけ言えるのは、「好きな人に追いつきたい」というだけの理由で、その日のうちに動いた。
あの瞬間の自分は、今の自分の原型だったなと思います。
▼ 初めての挫折、戦力外通告
中学はちょっとだけグレました。
でも、突き抜けてグレている連中を見たとき「僕はあっち側にはなれないな」と察して、高校からは真面目にやると決めました。
中3の夏、暇すぎて、ネットで見つけた高校生バンドのボーカルオーディションに応募したら受かりました。X JAPANのコピーバンドです。
ただ、僕はめちゃくちゃ歌が下手でした。オクターブという概念すら知らなくて、曲を1オクターブ下げて歌うという、今思うとなかなかキモい奴でした。
周りが優しくて、誰もそれを指摘せずやらせてくれました。(そもそもなぜオーディションに受かったのかは今でも謎です)
そして途中で「他のボーカルを見つけたんだ、ごめん」と戦力外通告。
普通にくそ泣きました。
高校に入ったら自分でバンドを作って、絶対に見返すと決めました。
(ちなみに今でも歌はトラウマでダメです。絶対に歌わせないでください笑)
▼ 高校では、ボタン全閉めメガネで
僕の地元では当時、中学までは不良以外はみんな学ランのボタンを全部閉めていて、高校になるとボタンをみんな1個開けるのがOK、みたいな風潮がありました。
でも僕は逆で、中学でボタンを3つ開けていたのを、高校では「全閉め&メガネ」に変えました。
それくらい超真面目にやると決めていたんです。
本番は完全に放課後でした。自分でバンドを作って、自分のオリジナル曲で活動していた。
歌は相変わらず下手でしたが、周りの大人や先輩に可愛がってもらいました。
地元の高校生バンドの大会で、史上初の2年連続優勝してテレビにも少しだけ映ることができました。
小さな世界のなかで、少しだけチヤホヤしてもらえて幸せでした。
中学で戦力外にされたあのバンドに勝った、と勝手に思っていました。
今思えば一人で意気込んでいて痛いんですけど、当時は本気でした。
▼ 約束して上京して、1年でひとりになった
その後、バンドメンバーと「東京で一緒に音楽をやっていこう」と約束して上京しました。
そして上京1年目で、早くも一人が現実を見て離脱。
でも「俺は音楽の裏方をやっていきたい。メンバーじゃなく、このバンドの裏方として支えたい」と言ってくれたので、それはそれでその気持ちが嬉しかった。
ところが、ほかのメンバーも現実を見始めて、「就職するからもう続けられない」と。
あんなに約束して出てきたのに、上京1年でひとりになってしまった。終わった、と思いました。
その後も新しくバンドを組んだりしましたが、長くは続かず。
結局、フリーターをしながら細々と活動を続ける生活になっていきました。
▼ 「うちはやりがいだから」
いろんなアルバイトをしました。
なかでもパチンコ店で、ホールリーダーのような役割を任され、スタッフに指示を出す経験をしたのは大きかったです。
先輩スタッフにも指示を出さないといけなくて、最初はとても気まずかった。
でも皆さん本当に良い人で、むしろ「いつも指示出しありがとう」と言ってくださいました。
ただ、そのお店の方針として、ホールを回しても給料は変わらない。
統括に聞いたら「うちはやりがいだから」とはっきり言われました。
これを今でも覚えています。
「頑張ったら評価される場所に行きたい」「ここに長くいちゃいけない気がする」
そう思っていたとき、友人にテレアポのアルバイトを紹介してもらいました。
ここが、人生のターニングポイントのひとつです。
(ちなみに僕は有り難いことに上の人に可愛がってもらえることが多く、この統括の方も怖い方だったのですが「今日誕生日なので何かください!」と言ったら使ってない時計をもらいました。なんだかんだで、ラブです。)
▼ 牧場に、Wi-Fiを売る日々
テレアポでは最初、お店に置く来店者向けのWi-Fiを売っていました。
リストが支給されるんですが、飲食店や美容室みたいにWi-Fi需要が高いリストは高ランクの人に配られて、新人の僕に回ってくるのは牧場などのリストでした。
電話して「来店者様向けのWi-Fiです」と言うと、「うちは牧場だよ。いらないでしょ」と言われ、「そ、そうですよねw」と。
それで上司に「牧場にWi-Fi厳しくないですか!?」と言うと「うるせえ、いいからかけろ!」oh、ハードボイルド!!!
1日100人以上と通話して、喉が死ぬほど痛かったのを覚えています。
でも、おかげで人と話すことにめちゃくちゃ慣れました。そしてある時から肩の力が抜けて、スタンスを変えたんです。
「お願いします、買ってください」から、
「別にどっちでもいいんですけど、お客様の状況ならやってみてもいいんじゃないですか。どうします?」というスタンスに変更。
たぶん本当に「どっちでも大丈夫っすよ〜」って言っていたと思います。
そうしたら、なぜかめちゃくちゃ売れるようになりました。
売り込みしなくなったことで、逆に売れるようになったんです。
僕がいたのは100人弱くらいのエリアだったのですがそこで平均値1位を出し、ランク制度がある中で当時一人だけAランクを経験させていただきました。
アルバイトなのに、社員さんに教えたりサポートする変な立場でもありました。ぶっちゃけちょっとイキっていたと思います。
うん、ダサくて恥ずかしいです。
でも同時に、限界も感じていました。
どれだけ売れても、対応できるのは目の前の一人だけ。もっと効率よく稼ぐ方法はないか。
そう思って、ネットで調べました。
▼ 1年前に諦めたものに、もう一度出会った
なんか稼ぐ方法ね〜かな〜って感じで家でゴロゴロしながら、スマホで「稼ぐ 方法」みたいなほんと我ながらバカっぽいキーワードでGoogle検索しました。
調べていくと、せどりやポイ活などいろいろ出てくるなかで、「一番のおすすめはアフィリエイトです」という記事を見つけました。
その瞬間、「・・・!!!」と、衝撃が走ったんです。
その1年ほど前にも、僕は全く同じことをしていたのを思い出しました。
稼ぐ方法を調べて、アフィリエイトに行き着いて、「よく分からないし難しそう」と思ってやめていたんです。
「もしあのときやっていたら、人生は変わっていたかもしれない」
「そして、今またやらなかったら、1年後にまた同じことを繰り返すんじゃないか」
そう思った瞬間に、
「今、この瞬間なんじゃないか?」
「俺の人生が、変わるんじゃないか?」
「今やらないとまた同じ1年間を無駄にくり返すんじゃないか?」
と自問自答しました。
そしてよく分かっていないまま、その場でドメインとサーバーを契約してブログを立ち上げました。
これが僕のビジネスの原点です。
当時はタイピングもまともにできなくて、左右の人差し指、2本だけでポチポチ打っていました。1記事目を書くのに3日かかったと思います。
▼ 爆誕!〜テレアポ記事にコアラのマーチを貼る男〜
最初に書いたのは、テレアポのノウハウ記事でした。
アフィリエイトの審査に通って、いざ広告を貼ろうとしたけど、何を貼ればいいか分からない。
ASP(アフィリエイトの広告と提携できるサービス)のおすすめ案件のところにコアラのマーチの広告があったので、それを貼りました。
はい!ここが僕の絶望的なセンスのなさなんです。
よ!さすがX JAPANを1オクターブ下で歌ってドヤる男!!!
テレアポの記事にコアラのマーチを貼って、売れるわけがないんですよね。
当然、何日経っても成果はゼロ。
どうしようと悩んでいるうちに面倒になって、ブログを放置してしまいました。
1ヶ月くらい経った頃、ブログサービスから「1ヶ月放置していますよ。よかったら再開しませんか?」という自動メールが届きました。
これも、大きな分岐点でした。(あ、今思い出したけどこのとき友達と、君の名は。の映画を見に行った帰りだった気がする!違ってたらすみません!)
その自動メールを見て「ここで辞めるのはもったいないかもな」と思って、再開したんです。
あのメールがなかったら、今の僕はきっといません。
▼ 人の役にたつことを書いた
再開するとき、今度は「自分が書きたいこと」ではなく「世の中の役に立つこと」を書こうと決めました。
当時、僕は音楽活動をしていたので、歌やギターの練習でひとりカラオケによく行っていました。
そこで気づいたのが、ホットペッパーやぐるなびのクーポンが、カラオケでも使えるということ。
10%オフとか。飲食店向けのサービスなので、カラオケで使えることはあまり知られていなかったんです。
これいいんじゃね?と思って、エリアごとにカラオケの料金一覧とクーポンをまとめた記事を作りました。
これ、今思うと一次情報をうまく使えていますよね。
そうていくうちに、どんどん成果が出た。最初は東京の主要都市だけだったのを、最終的には日本全国、あらゆるエリアに広げました。
気づけば1日1,000件以上の利用が入るようになって、収益も伸びていきました。
ブログの月収が15万円を超えたところで、僕はアルバイトを辞めました。ブログを始めてから半年くらいの頃です。
周りには猛反対されました。でも、空いた時間を全部ブログに注いだほうが絶対うまくいくと確信していた。
結果、15万円だった月収は、その2〜3ヶ月後くらいに100万円に届きました。
大手ASP A8.netのブラックSランクになった時にもらった記念フィギュア。3ヶ月でA8の達成額300万円以上でもらえた。
そして、僕のビジネスの第一絶頂期がこの時くらい。
ブログ収益が月370万円ほどに。
▼ 一人をやめて、レバレッジをかける
ここからは、一人で作業するよりレバレッジをかけようと、ライターさんを外注したり、優秀なライターさんをディレクターに昇格させたりして、組織化を進めました。
順調でした。このまま行けると、本気で思っていました。
▼ ある日、全部が崩れた
ある日、Googleの仕様変更で、僕の記事が検索結果に表示されなくなりました。
いわゆるインデックスが飛んだ状態です。(くわしい人向けに言うとYMYL領域の高単価案件を取り扱っていて、そこが引っかかりました)
そして収益が一気に崩れました。そこに追い打ちをかけるように、コロナが来て、外出前提だったカラオケ需要そのものが壊滅した。
売上はほぼゼロになりました。
それでもなんとか食らいついて、やや持ち直しかけた頃、今度は僕の心のほうが折れました。
うつになって、仕事ができなくなったんです。
きつかったのは、自分が動けなくても、抱えていた外注費は毎月かかり続けるということでした。
収入は止まっているのに、支出だけが出ていく。
通帳の数字が減っていくのを、ただ見ているしかなかった。
最終的に、東京での生活を畳んで、実家に帰る決断をしました。
当時、付き合っていた彼女がいました。
でも、僕だけが実家に帰ることになった。彼女は、新幹線のホームの、ドアが閉まるところまで見送ってくれました。
ドアが閉まる瞬間、僕は大号泣しました。情けなくて、申し訳なくて。
くしゃくしゃな顔で、伝えました。
「必ず、生活を立て直して半年で東京に帰ってくる」
結局、その数ヶ月後に、お別れすることになりました。
実家に帰れば、少しは楽になれると思っていました。
でも現実は逆で、ささいなことで家族にいる母と姉と喧嘩して、実家にいても居場所がない。
気づけば、この世界に、心から話せる人が一人もいなくなっていました。
正直、人生でいちばんのどん底だったかもしれません。
▼ どん底から、もう一度
それでも、僕にできることはやっぱりブログでした。
実家の片隅で、もう一度ブログの収益を立て直すことだけに集中しました。
なんとか数字を戻して、その事業を思い切って売却。
そして、そのお金をタネ銭にして、今度はYouTubeを始めたんです。
非属人でショート動画をメインに、そこからアフィリエイトに繋げる導線でした。
これが、軌道に乗りました。ブログで一度事業を売り切った経験があったので、勝ち筋がなんとなく見えていたんだと思います。
短期でマネタイズしては売却し、キャッシュを作る。それを繰り返しました。
そして、実家に帰ってからちょうど半年。
僕は約束通り、東京に戻ることができました。ひとりで。
▼ 母に、認められた日
YouTubeの事業は、いくつも立ち上げては売却しました。
1つのYouTubeチャンネルを8桁円で売却したこともありました。
いろんなご縁が重なって、属人系のチャンネルを運用する法人も新たに作りました。
気づけば、事業や法人の売却は10件を超えていました。
そのうちに、都内のタワーマンションの40階以上の高層階に住んだりもしました。
当時住んでいたタワマン。眺望が最高でした。
これは半分イキりで、半分は経験に投資しました。
若いうちに一度は住んで体験してみようと。
あるとき、ずっと喧嘩して疎遠になっていた母に、なんとなくその報告をしたんです。
「久しぶり?元気にしてる?あの後事業を立て直して、今はタワマンに住んでるよ」と。
そうしたら母が、ラインで
「すごいね」
「あの時は本当にごめん」
「辛くて実家に帰ってきたのに、孤独にさせてしまった」と。
母なりに思うところがあったのだなと感じました。
そして母が「あんたは一族の誇りだ」「親を超えたね」「おじいちゃんに自慢する」と言ったんです。
あんなに気まずかったのに。実家にいた頃は、家族とすら喧嘩して孤独だった僕に、です。
僕は思わず笑ってしまいました。なんだか、ぐるっと一周して、ようやく帰ってこられたような気がしました。
その後またお金がなくなり、半年でこのタワマンを退去することになります。
ちなみに今はめちゃくちゃ普通のアパートに住んでいます。
ベランダからの初日の出。40階以上の高層階なのにベランダによく虫飛んできてた。どっから来とんねん。
▼ 父が天国へ
事業がうまく行っていた最中、父が帰らぬ人になりました。
父は僕が上京した後に単身赴任していて、10年くらい会えていませんでした。
でもこれは言い訳です。会おうとすればいつでも会いに行けました。
父の入院中、一度だけ会いにいくことができました。
10年ぶりくらいの再会でした。最初に父の顔を見た時、本当に驚きました。
おじいちゃんになっている!
そんな父が僕を見た第一声は「・・・老けたな」でした。
いや、それこっちのセリフなー!?
気遣って言わなかったのにそっちが言うのなー!?
父には会社を経営していることや家族のことを伝えました。
「すごいな」と言ってもらえました。
そして、父にずっと聞いてみたかったことを聞きました。
「親父、ぶっちゃけ結婚ってどう?」
「まあ、色々だな・・・でも、子どもはいいな」
その言葉は、僕の宝物になりました。一生忘れません。もう一度聞きたいなあ。
変わった父でした。
キャッチボールで少し変なところに投げると怒って僕が取りに行かせられるし。
遊園地連れて行ってもらっても一緒に乗り物乗ってくれないし。子どものころ観覧車ひとりで乗ったことある人なかなかいないですよね?
ゲームセンター連れて行ってもらっても1,000円渡されて「好きなの遊んでこい」って行って自分はどこかへ消えるし
歯を見せて笑わないから、僕が子どものときに、母と姉と僕で「親父って歯ないんじゃね?」ってなって父の歯を探す極秘ミッションが始まったり。
(ちなみにその時、結局歯は普通にあった。でも親父の遺品整理のときに入れ歯があって驚きました。親父の歳とって行く姿、もっとゆっくり見たかったなあ)
今でも父のことを考えると涙が止まりません。今泣きながら書いてます。サウナの休憩スペースで書いているので、ティッシュがありません。困ります。どうしようトイレいってトイレットペーパーで鼻噛むしかない、行ってきます。
戻りました。
元気になったら親孝行しようと思ってたんだけど、遅かった。
ごめん。その分、これから家族孝行します。
変な父だったと思う。
良いところも、ダメなところもたくさんあった父だと思います。
そんな父のこと、心から愛しています。だって家族だから。す。
僕には夢ができました。それは父より長生きすること。そして父を超えることです。
「父を超えるって、具体的にどうすれば超えるんだろう?」
何度も考えたけど、まだ答えは見つかっていません。
これからの人生で、ゆっくり探してみようと思います。
▼ そして、金を溶かした
ここまで読むと、順風満帆な人みたいに見えるかもしれません。
でも、ここからがダサいんです。
少しお金に余裕ができて、資産を増やそうと焦り、投資に向かいました。
株や仮想通貨は前からやっていて、勝ったこともあるけどいつもレバでとかして、トータルでは数千万円ほど負けていました。
それなのに、M&Aで得たお金を、またガツッと株にレバレッジをかけて突っ込んだんです。
結果、見事に大失敗。せっかくの売却益が、ガツンと溶けてなくなりました。
何度も痛い目に遭っているのに、また同じことをやる。
成功した話だけ並べると強そうに見えるかもしれませんが、これが等身大の僕です。
▼ そして今、ここにいます
幸い、これまで何度も沈没からの復活をしてきたので、
「まあいうて俺は本気だせば成功するンゴ!」って、イタいけど本気で思っています。
今は普通に生活できる状態なので、ずっと世の中の動きをみて、チャンスを伺っていました。
次に何をしよう、何をやるのが良いんだろう。
そう考えていたときに出会ったのが、Substackでした。
ここでひとつ本音を置いておきます。
僕、Substackを伸ばすのがかなり得意です。
自分の今までのビジネス経験から、
「あ、これ熱いやつだ」
「本気で注力すれば結構いける気がする」
と思い、サブスタを始めました。
そして毎日コツコツで1ヶ月でフォロワー1,500人、購読者500人を達成。
そして、フォロワー1,000人で販売したBrainも100部達成した。
僕の初Brain。マジでサービスのつもりで出したのでコスパがえぐいです。
最近だと、ありがたいことに2日連続でサブスタのランキングTOP3に入ったりも。
イケハヤさんより上だと・・・!?
これは僕のSubstackの登録者推移です。
一度もバズっておらず、コツコツ右肩上がりです。
これが僕のSubstackの登録者の推移です。
一度もバズっていません。
それでもコツコツ、右肩上がりで伸び続けています。
今、Substackで購読者が多い人を見ると、だいたい3つのタイプに分かれます。
一つ目。
もともとインフルエンサーで、開設と同時に一気に登録者を集められた人。
二つ目。
ゴールデンウィークあたりのSubstackがバズりやすいタイミングに乗って短期間で伸ばした人。
この時期は「サブスタ始めました」という投稿をするだけで何百いいねもいく人が多発していた、狂った時期でした。
三つ目。
バズはひとつもなく、ゼロから毎日コツコツ、右肩上がりで積み上げてきた人。
今、購読者が多い人のほとんどは、一つ目か二つ目です。
そして僕は、三つ目。
初投稿は5月12日。
一番バズりやすかったゴールデンウィークも、まるごと逃しています。
もともと数字を持っている人も、時流にうまく乗れた人も、純粋にすごいと思います。
ただ、ひとつだけ引っかかることがあって。
その伸ばし方には、再現性がないんです。
元々の知名度は真似できないし、GWももう取り戻せない。
だからその人たちが教えてくれるやり方は、これから伸ばしたい人にはなかなか再現できません。
でも、三つ目だけは違います。
バズも実績もないところから、毎日やるべきことをやって、右肩上がりで順調に伸びていく。
これは、伸ばすための手法を知っていて、努力の方向性を間違いさえしなければ、かなりの確率で再現できます。
でも正直僕から見ると、努力の方向性を間違っている人が多すぎて、本当にもったいないです。
そして、はっきりと言っておきます。
僕はこの記事で書いた通り何度も失敗してきている。
残念ながら僕は天才ではありません。
↑僕がSubstackを開始して最初に投稿したノートです。
(※この相互フォロー企画はもう終了してます。)
僕の初ノートでは相互フォローの企画をやりましたが、いいね1件、コメント0件、リスタック0件で、誰とも相互フォローができなかったんです。
つまり僕自身、最初の投稿から大失敗しているんですよね・・・
だから、伸びない人の気持ちもめちゃくちゃ理解しています。
でも、そこからSubstackの調査、分析、研究を日々行ってきて、
現在はフォロワー1,700人、購読者600人超。
「Substackの専門家」「サブスタ伸ばしければ、いとんさんを見ればいいよね」と言ってもらえることも多いです。
僕はこう見ています。
ランキングが示している通り、これからSubstackでトップを取っていくのは、三つ目の「右肩上がりにSubstackを伸ばしているタイプ」だと。
いや、答えはもう出かかっています。
多くの人が、サブスタの伸びが止まってきている。
そしてこれからは僕たち、「数字もなく、チャンスも逃した者たち」の逆襲が始まります。
だからもし、あなたがバズも実績もないところからSubstackを伸ばしたいなら、見ておく場所はここで合っています。
さあ、僕と共に、反撃の狼煙をあげましょう。
「右肩上がりにサブスタを伸ばす手法」を、僕はここで毎日発信してます。
小手先のテクニックじゃなくて、ゼロから右肩上がりを作る考え方を。
「今、この瞬間」です。
購読して、毎日見てください。
あなたが今いちばん欲しいものが、ここに順番に並んでいくはずです。
そして、Substackを伸ばしていきたければ、僕の投稿をどんどん引用リスタックしてみてください。
僕は、僕の投稿を引用リスタックしてくれた場合は、基本的にリスタックでお返しするようにしています。
つまり、僕を引用リスタックすることによって、あなたは僕の数字や勢いを借りて伸ばすことができるんです。
いつも引用リスタックしてくれる人のことはもちろん認知できるし、僕が「いいな」と思う方には、ここだけのノウハウや情報をポロリしてしまうこともあります。
毎日6:55に記事と、18:00にポッドキャストでの音声配信をSubstackに投稿しています。
ぜひ、引用リスタックを気軽にやってみてください。
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いとんさん❣️ 一気に いとんさんと距離が近くなった気持ちになれました。
お父様との関係も泣けますました🥲
自分より全然 世代の違う方の話 聞いて思った事は 年齢違ってもほぼ同じような思いをして、いろいろ壁にぶつかり乗り越えて来られてるんだ、と…
頑張って来られたのですね❤️素敵です
いとんさん人の人柄がわかる良い記事でした!
人の役に立つ記事を書く。
ここですね!
勉強になりました!
ありがとうございます😊